『strawberry jam』

二人の関係はとうに冷え切っていた。
目の前に座っている息子さえいなければ、もうとっくに別れているはずだ。
息子は現在、小学一年生。
妻が心配していたいじめにも遭っていないようで、毎朝元気に出かけている。
私たちがもはや惰性でともに暮らしているだけだなんて、こいつは想像も出来ないだろう。
いや、子供のほうが敏感だというから、本当は気づいているのかもしれない。
気づいていて、そんなそぶりを見せないようにしているのなら、健気なことだ。
妻は最近、輪をかけて口数が少なくなった。
なぜだかは知らないし、知ろうとも思わない。
所詮、夫婦とはいえ他人でしかない。
相手の気持ちなどわからないし、わかったところで何のメリットもないのだ。
彼女は私の前にトーストを置いた。
それでようやく、自分が朝食の席についているのだと認識した。
目の前の息子が、怪訝な表情でこちらを見ている。
私は満面の笑みで応えた。
私なりの家族サービスだ。
トーストを食べようと思ったが、いつも使っているストロベリージャムが見当たらなかった。
「あれ、ジャムは?」
「ごめんなさい、切らしてるの」妻は悪びれた様子も見せずに言った。
「じゃあ、このパンどうすんの?」
「そのまま食べて」
私は言われたとおり、なにもつけずにトーストを口にした。
反論しても意味はない。ジャムが突然現れるわけじゃないのだ。
トーストは味気なかった。しかし、懐かしかった。
いつもジャムをつけているから、トースト本来の味を忘れていたのだ。
本質は、いつでも装飾によって隠蔽される。
「じゃあ、ジャム買っといてくれる?」
私は要求を選択した。
「わかった」
彼女は承諾を選択した。
だが、彼女はその日家を出て行った。
会社から帰ると、息子は一人でアニメを見ていた。
すでに午後八時を過ぎているのに、まだ晩ご飯を食べていないと言う。
テーブルの上には、離婚届と書置きが置いてあった。
息子にもこれがなんなのかくらいわかったはずだが、どうやらこいつは見なかったことにしたようだ。
妻には他に男がいたらしい。よくある話だ。
書置きの最後に、探さないでくださいと書いてあった。
探してくださいよりは幾らかましだと思った。
いろんなことが頭の中に浮かんでは消えたが、最後まで残ったのは明日の朝食の心配だった。
どうやらまた、ジャム無しトーストを食べなければならなくなりそうだ。
それはほんの少しだけ憂鬱な観測だった。